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コラム イギリスは面白い - Column

画像:イメージ

 1066年にイングランド国王になったのは、有名な「ウィリアム征服王」とよばれている人物である。グレートブリテン島からローマ帝国が撤退した後は、ゲルマン民族が次々とブリテン島にやってきた。アングロ人、サクソン人、デーン人、そしてノルマン人である。フランスのノルマンディー公国からイングランドを治めるために38歳でやってきたウィリアム王はフランス人だった!!

ウィリアム王は、フランスこそ、すべてにおいて世界一優れていると信じていた。だから勿論英語は話さなかった。イングランドの食べ物はいっさい受けつけなかった。お天気も嫌いだった。そして本人は、残虐性を帯びた性格の持ち主だった。

こんなイングランドにとって有り難くない国王は、行政上画期的な作業を完成させた。「The Book of Doom」とよばれる台帳を作り上げたのである。どの城の所有者が誰であるかに始まって、土地の広さばかりでなく、馬一頭、豚一匹迄持ち主を明らかにして税金取り立ての基本帳にしたのだった。やり手であったのだ。人々はこの台帳のことを「とんでもなく嫌なもの」と考えた。そこで「Doomsday Book」= 最後の審判記録とよんだのである。

 現在のエリザベス女王は、イギリス王室の開祖はノルマン王家のウィリアム征服王であるという通例にもれず、来日した折の宮中晩餐会で「我が国は、父祖ウィリアム征服王以来 云々」という発言をした。確かに、ウィリアム征服王がイングランドの統一を果たしたことは事実だし、ロンドン塔とウィンザー城を建てさせたことはわかっている。
でも、それにしても・・・・。

ウィリアム征服王を最後に、今日迄大規模な侵略はされていない。以降、ケルト人、ローマ人、アングロ人、サクソン人、デーン人、ノルマン人、これらの民族の融合としてのイギリス形成が始まったのである。そして又イングランドを統治する上でのウィリアム征服王の諮問機関である王会が、後に議会へと発展していくのである。

そうか、イギリスの議会は世界中から「議会の母」とよばれているが、そのきっかけをつくったのが「ウィリアム征服王」なのだ。
なる程、偉大な人なのだ。

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